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東京地方裁判所 平成5年(行ウ)250号 判決 1996年2月15日

原告

ゴンチャロフ製菓株式会社

右代表者代表取締役

光葉貞夫

右訴訟代理人弁護士

益田哲生

為近百合俊

被告

中央労働委員会

右代表者会長

萩澤清彦

右指定代理人

高梨昌

福田平

田村智行

井上博夫

瀬野康夫

被告補助参加人

ゴンチャロフ労働組合

右代表者執行委員長

竹村務

右訴訟代理人弁護士

麻田光広

関通孝

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、補助参加によって生じたものも含め、原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が中労委平成三年(不再)第四四号事件につき、平成五年七月七日付けでなした命令を取り消す。

第二事案の概要

兵庫県地方労働委員会は、被告補助参加人が原告を被申立人として申し立てた不当労働行為救済申立事件(兵庫県地労委昭和六三年(不)第四号事件)につき、別紙一のとおりの主文の救済命令(以下「初審命令」という。)を発した。原告及び被告補助参加人は、初審命令を一部不服として、それぞれ被告に対し再審査を申し立てたところ(中労委平成三年(不再)第四四号、第四五号事件)、被告は、平成五年七月七日付けで右再審査申立てを棄却する旨の別紙二のとおりの命令(以下「本件命令」という。)を発した。本件は、原告が本件命令の取消しを求めたものである。

一  争いのない事実等(以下の事実は、末尾に証拠を掲げたもの以外は、当事者間に争いがないか、当事者が明らかに争わない事実である。)

1  当事者

(一) 原告は、肩書地に本社を置く洋菓子の製造及び販売業を行う株式会社であり、本件初審申立時(昭和六三年三月二四日)、資本金が九〇〇〇万円で、製造工場として西灘工場(本社近くに設置)、東灘工場(神戸市東灘区内に設置)があるほか、東京支店、名古屋営業所及び九州営業所を有し、従業員数は約四〇〇名であって(本件初審審問終結時における従業員数は四五四名である。)、西灘工場に一一〇名余り、東灘工場に五〇名余りが勤務していた(<証拠略>)。西灘工場には製造課、技術室、製造管理課、資材課、設備管理課、製品開発課があり、製造課には、現場係と包装係の二係があり、現場係には、第一現場班ないし第五現場班と技術室が、包装係には、第一現場で溶解したキャンディ原料を冷却したあと、切断、包装し、包装不良品を選別した後に、一四種類のキャンディを均等に混合し、小包装を行う第一包装班とこれらを詰め合せ、荷姿に梱包する第二包装班があった。

(二) 被告補助参加人は、原告の従業員を構成員として、昭和五九年三月六日に結成された労働組合である。なお、本件初審申立時における組合員数は四名であった(弁論の全趣旨)。

2  組合結成に至る経緯

(一) 竹村務(以下「竹村」という。)及び中谷武司(以下「中谷」という。)は、昭和五八年四月、原告に入社し、当初それぞれ西灘工場製造課の第二包装班と第一包装班に配属されたものであるが(その後まもなく、同年八月、竹村は、第二包装班から第一包装班に配置換えとなった。)、右の両名は、同年八月中旬、他の従業員二名とともに、組合結成を企図して結束会を結成し、勉強会の開催、リクレ(ママ)ーションの実施等を通じて会員拡大を図るとともに、同年九月及び昭和五九年三月に会員限りに配布する「結束」と題する機関紙を発行し、その紙面において、サービス残業、年次有給休暇取得、休憩時間の利用、残業食、パートタイマーの解雇等について原告の労務管理に問題があると指摘した(<証拠略>)。

(二) 昭和五九年二月下旬、西灘工場設備管理課員小西英明(以下「小西」という。)が同年三月一日付けで東灘工場への配置転換を通告されたことに関し、同人から相談を受けた竹村は、同年二月二九日、中谷らとともに、就業時間中に一階の職場を離れ、西灘工場設備管理課長兼労務課長長田明男(以下「長田課長」という。)に対し、「二、三日前に急に配転を言うて、それで嫌やったら辞めてくれとはどういうことなんですか。きっちりと説明してください。本人の意見をちゃんと聴いているんですか。」などと抗議した(<証拠略>)。

(三) 同年三月六日、小西の配置転換問題が契機となり、結束会を母体にして被告補助参加人が結成された。竹村は被告補助参加人の執行委員長に、中谷は書記長に、小西外九名が執行委員となり、結成当初の組合員数は五六名であった(<証拠略>)。

3  組合の活動

(一) 被告補助参加人は、昭和五九年三月七日、組合活動の保障、賃金の引上げ、残業中の食事時間の確保、休暇の取得等に関する要求書を原告に提出し、その後、同月から同年七月までの間に、原告と数回の団体交渉の機会をもった。この間に、被告補助参加人は、脱退者が相次ぎ、同年六月までの約三か月間で組合員数が一〇名に減少した(<証拠略>)。

(二) 被告補助参加人は、同年七月から「ごんちゃろふ」と題する機関紙の発行を始め、原告会社の門前や駅頭で配布した。その発行回数は、昭和六一年一〇月までの二年間で六一号になった。その内容は、原告の安全対策のあり方、残業中の休暇(ママ)の取扱と手当の計算、利益分配金の計算方法と支給額、係長による脱退勧奨、職場における不満等のアンケート集計結果、就業時間外朝礼、労働基準監督署への申告とその経緯、後記の中谷書記長の長期応援作業の経緯等についての紹介や問題点の指摘、抗議の呼びかけ等を行うものであった。

(三) 竹村は、被告補助参加人結成以来、組合の執行委員長として、労働条件の改善や組合員に対する原告の処遇の是正等について、労働基準監督署に申告したり、組合機関紙の発行・配布を行い、常に組合の中心となって行動していた(<証拠略>、弁論の全趣旨)。

4  竹村、中谷の職務内容

(一) 竹村及び中谷の所属していた第一包装班には、一四、五台の機械が配置されていて、これらの機械については、班長が単独で、あるいは数人が組んで交代して取り扱うほか、例えば、カットアンドラップと呼ばれる機械では、キャンディ原料の冷却、冷却したキャンディのカット・包装、不良品の選別作業等当該機械取扱に伴う関連作業(以下、関連作業を含め「機械取扱業務」という。)を行っていた。なお、作業に必要な容器の洗浄業務については、班員それぞれが、機械取扱業務の手空き時間に従事していた。

(二) 昭和六〇年一月二二日、中谷は、第二包装班への応援を命じられ、昭和六一年八月一日からは、階段、廊下等の清掃等の作業を命じられた。中谷は、同年一〇月三一日から無届け欠勤を続け、昭和六二年二月一五日付けで原告を退職した。

(三) 竹村は、昭和六〇年一月ころには、カットアンドラップ機械取扱業務に従事していたが、昭和六一年六月末ころ、同人が検便検査でサルモネラ菌の疑陽性と判定されたことから、それまで取り扱っていたカットアンドラップ機械の担当から外され、包装係主任村上辰雄(以下「村上主任」という。)から選別作業を命じられた。ところで、原告では、以前から労働災害の発生を防止するための内部協議機関として、管理職、現場代表者等で構成する安全衛生委員会が設置されていたが、同年七月、安全衛生委員会は、竹村が取り扱っていたカットアンドラップ機械の機械担当責任者として同僚の大沢一夫(以下「大沢」という。)を選任するとともに、第一包装班のその他の機械についても相前後して逐一、機械担当責任者を選任した。同責任者の選任については、安全上の観点から、安全衛生委員会において選任された者以外の者が当該機械を取り扱わないようにすることを意図していたものであった。

5  竹村に対する容器洗浄作業の指示

竹村は、昭和六一年六月二二日、村上主任から「明日から容器洗いをしてくれ。」と指示され、翌日から、容器洗浄業務に専従し、その約五年後である平成三年八月一日以降、容器洗浄作業の傍らキャンディを混合する混合機を取り扱う作業を命じられるようになり、その取扱時間は徐々に長くなった。

6  本件命令

被告補助参加人は、原告を被申立人として、昭和六三年三月二四日、竹村を第一包装班の機械取扱業務に復帰させること、被告補助参加人組合員嘉村忠司の解雇を撤回すること、原告がポストノーティスを行うこと等を求めて、兵庫県地方労働委員会に救済の申立て(兵庫地労委昭和六三年(不)第四号事件)をし、同地方労働委員会は、平成三年七月三〇日付けで別紙一の初審命令を発した(<証拠略>)。原告及び被告補助参加人は、いずれも初審命令を不服として被告に再審査の申立て(原告の申立てにつき中労委平成三年(不再)第四四号事件、被告補助参加人の申立てにつき同第四五号事件)をしたが、被告は、平成五年七月七日付けで別紙二の本件命令を発し、本件命令書の写しは、同年八月二〇日、原告に交付された。

二  争点

原告が竹村を容器洗浄作業に専従させたことが、労働組合法七条一号(不利益取扱)及び同条三号(支配介入)の不当労働行為に該当するか。

なお、竹村に関する本件救済申立てが、労働組合法二七条二項に定める一年間の申立期間経過後になされたものか否かも争われている。

三  当事者の主張

(被告)

被告の認定事実及び判断は、別紙二の本件命令書記載のとおりであり、本件命令に誤りはない。

(原告)

1 竹村に対する容器洗浄業務指示は、竹村に不安全行為が多々あったことから、安全衛生委員会が同人を機械担当責任者に選任しなかった結果であり、その作業場所や内容にも問題はなく、不当労働行為の成立する余地はない。

(一) 原告が竹村に容器の洗浄業務を指示したのは、同人が、<1>巻き込みロールをセットしないまま放置して退社することがしばしばある、<2>冷却板を移動させるため使われていたテコ棒を跨ぐ、<3>持場を勝手に離れることが多い、<4>他の班員に不必要に話しかけることが多い、<5>容器に適量のキャンデーを入れない、<6>現場を走ることが多い、<7>物の取扱いが乱暴である、<8>班のチームワークを乱すなど、不安全行為などの問題点が多く見受けられたことから、安全衛生委員会が同人を機械担当責任者に選任しなかったことによるものであり、不当労働行為とされる余地はない。

(二) 本件命令は、竹村が巻き込みロールをセットしないまま放置して退社した件に関して、同人が村上主任の指示に従わなかったにもかかわらず、「このことについて、同人に対する同主任からのそれ以上の指導はなく、会社からの特段の措置もなかった。」旨、竹村の行動がさして問題ではなかったかのごとく指摘している(本件命令の理由の第1の4(2)<3>)。しかし、巻き込みロールは重量があり、形状的に転がりやすく、機械の上に放置するなどした場合には、転がって落下し事故を引き起こすおそれがある。そこで、従来より、退社するときには必ず機械にセットしておくよう指導がなされていたのであるが、竹村は「機械にセットしたら錆びる」などと全く理由にならないことを述べ立てて、これに従おうとせず、上司が繰り返し注意してもこれを無視するといった不安全行為を繰り返したものである。

(三) 竹村に対する容器洗浄作業は、他の従業員から隔離されたに等しい状況の下でされているものではなく、作業場所自体に問題はない。容器洗浄作業場所と同じフロアーでは、ブラウンピーナツの製造が行われ、また設備管理課の課員も同階で作業しているのであって、不当な場所での作業が指示されているような事実は全くない。また、竹村が、同作業を命じられてしばらくたって、西灘工場製造課現場係長大福健二(以下「大福係長」という。)に「いつまでするのか。」と聞いたところ、同係長から「お前は一生容器洗いだ。」とか「お前の態度いかんや。」と言われたという事実(本件命令の理由中の1の4(3)<3>)はない。さらに、容器洗浄作業は、健康障害を生ぜしめるほどの過重な作業実態ではない。

2 本件命令が、原告が竹村らの組合活動を強く嫌悪していたものと認められる旨判断した点は、次のとおり、事実無根であるか(ママ)、右判断の根拠足り得ない。

(一) 小西の配転問題に関する長田課長の竹村らに対する言動について(本件命令の理由中の第1の2(2)<3>)

長田課長が竹村らに「ゴンチャロフに組合はないんや。組合でも作る気か、作ってみろ。全員処分する」と答えたとの事実はない。長田課長は、竹村が就業時間中に勝手に持ち場を離れて同課長のところに抗議に来たため、速やかに持ち場に戻るよう竹村らに注意し、同人らがすぐにこれに従わなかったため、このままでは処分せざるを得ない旨警告したものである。処分云々という言葉は右やり取りの中で出たものであった。

(二) 中田工場長及び長田課長の脱退勧奨について(本件命令の理由中の第1の3(1)<1><2>)

原告会社取締役西灘工場長兼製造課長中田實(以下「中田工場長」という。)は、竹村に対し「組合については、考え直してもらいたい。わしと一緒にやらへんか。」と告げたような事実はなく、そもそも同工場長が工場長室で一対一の形で竹村と面談したなどということも一度もなかった。また、長田課長が組合執行委員の自宅に電話して脱退勧奨した事実はない。

(三) 原告の団体交渉の態度について(本件命令の理由中の第1の3(2)<2>)

原告が神戸地区労働組合協議会(以下「地区労」という。)の交渉当事者適格について疑問を呈したのは事実であるが、原告側交渉委員が黙り込んだために、交渉が進展しなかったという事実はない。地区労は、協議機関に過ぎず、その構成員に対して統制力を有しておらず、独立の労働組合としてその団体固有の団体交渉権を有する団体とは解されないから、地区労の交渉当事者適格について疑問を呈したものであって他意は全くなかったものである。

(四) 原告の管理者の竹村らに対する暴力について(本件命令の理由中の第1の3(3))

「ごんちゃろふ」第六一号に原告の管理者らが竹村らに対して暴力を振るった旨の記載があるが、そのような事実はない。実際には、就業時間中に職場に戻ろうとしない竹村を上司が腕を取って連れだそうとした際、竹村が体のバランスを失って転倒したようなことや、あるいは、竹村が上司に激しく喰ってかかり目に余るため大福係長が同人を引き離そうとして腕を取ったときに竹村の作業服の縫い目がほつれたようなことがあったに過ぎず、これらの事実が針小棒大に記載されているものに過ぎない。

(五) 中谷の第二包装班への応援について(本件命令の理由中の第1の3(4)<1>)

中谷の応援について、バレンタインデーまでというような期限付の指示がなされた事実はない。

中谷の所属していた第一包装班は、機械を相手にそれぞれ担当業務を処理するというスタイルであるのに対し、第二包装班はグループ作業が主体であった。同人は、かつて第一包装班で機械を担当していたが、機械トラブルを発生させるなど問題が多かったことから、昭和五九年当時は主として、下撰り作業(包装不良品を目視により選別、除去する作業)に従事していた。そこで、こつこつと仕事をするタイプで、口数が少なく、チームワークを必要とする作業よりは、むしろ機械に向かって作業をする方が向いていると見受けられる第二包装班所属の者と中谷とを交代させ、職場の活性化を図ることとしたものである。

(六) 中谷の退職に至る経緯について(本件命令の理由の第1の3(4)<1><2>)

原告が中谷に対して、嫌がらせを行い、これが契機となって同人が欠勤するようになり退職に追い込んだという事実はない。

中谷は、配属先の第二包装班で、作業速度が遅いため処理すべき製品を大量に滞留させるなどして他の作業者に迷惑をかけることが多く、また、出来高数と材料出庫数が一致しない事態を頻発させた。中谷の作業ぶりについては、上司が注意、指導を与えたが、同人は「これが精一杯です」などと言い張り、一向に改める様子がなく、職場の同僚からは上司に対し事態の改善を訴える声が相次いでいた。中谷は、昭和六一年七月三一日には出来高数量と材料数量が一致しないという事態を引き起こした上、同僚の作業者が原因究明のため計数チェックをしていたにもかかわらず、当の本人だけがこれを放置したまま退社してしまうという無責任な行動を取った。このため、同僚から厳しい批判がなされ、同人とは一緒に作業できない旨の声が強くあがった。そこで、上司がこうした状況を本人に説明し、本人と話し合った結果、同年八月一日以降、同人は半製品の搬出作業、配送業務の応援、清掃業務などに従事することとなったものである。

原告は、中谷が昭和六一年一〇月三一日以降無届欠勤するようになった後、上司が同人の自宅に何度も足を運んで出社を促したほか、同人あるいは同人の父親宛に再三書簡を出し、同人の出社が得られるべく努めたが、同人の無届欠勤は同日以降昭和六二年二月一四日まで続き、原告としては何らかの対処をせざるを得ない状況にあったところ、同年二月一五日付けで本人から自筆の退職届が郵送され退職の運びとなったものである。

(七) 竹村らへの事情聴取における大福係長の言動について(本件命令の理由の第1の4(2)<2>)

大福係長が村上主任及び大沢に対して、「お前、組合に入ってるんか。」と怒鳴ったという事実はない。

3 本件救済申立ては、竹村が容器洗浄作業に専ら従事することを初めて指示された昭和六一年七月二三日から一年以上経過した昭和六三年三月二四日に申し立てられたものであるから、除斥期間を定めた労働組合法二七条二項に違反し、却下を免れない。

(被告補助参加人)

1 組合の委員長であった竹村に対する容器洗浄作業専従への指示は、組合の中心的活動家である中谷書記長に対する不当な職場配転に断固とした抗議活動を続け、また昭和六一年三月からは朝礼批判のビラ配付活動を行った竹村に対する報復的な行為であるとともに、他の社員に対して、「組合活動に参加したらこのように取り扱うぞ」という見せしめ的効果を狙って行われたものであり、原告が、竹村を容器洗浄業務に専従させたことが、不当労働行為に当たることは明白である。

原告主張の竹村を容器洗い業務に専従させた理由、必要性には全く正当性、合理性が認められない。

2 組合結成当初五六名いた組合員が激減した事実及び傷害事件まで発生させた組合結成後の会社の対応などからして、会社が補助参加人を嫌悪してきた事実は明らかである。

第三争点に対する判断

一  竹村の容器洗浄作業について

1  竹村が容器洗浄作業に専従したことに関し、前記「争いのない事実等」4、5の事実、証拠(<証拠・人証略>)によれば、次の事実が認められる。

(一) 竹村は、昭和六〇年一月ころには、第一包装班においてカットアンドラップ機械取扱業務に従事していたが、昭和六一年五、六月ころの一か月間程度、同業務を一緒に担当することとなった大沢が右機械に習熟していなかったため、その取扱い方を教えていた。

(二) 原告会社は、昭和六〇年一一月に発生した労災事故に関し所轄労働基準監督署より改善勧告・指導を受け、安全衛生委員会において安全対策の検討を重ねていた。昭和六一年七月一日に開催された同委員会においては、安全上の観点から各機械ごとに機械担当責任者を選任し、右責任者に選任された者以外の者が当該機械を取り扱わないようにすることが話し合われ、担当責任者は、同委員会が職場責任者と協議し、決定することとされた。

(三) ところで、竹村は、昭和六一年六月末ころ、検便検査でサルモネラ菌の疑陽性と判定されたことから、カットアンドラップ機械取扱業務を外されて、村上主任から不良包装品を抜き取る下撰り作業を命じられていた。しかし、同年七月二一日、竹村は、二回目の検便検査で異常がなかったことを知り、翌二二日、カットアンドラップ機械取扱業務の準備をしていると、大福係長、西灘工場製造課包装係長胡振隆(以下「胡係長」という。)及び村上主任から機械を取り扱うことを止められ、その日一日、包装不良品の包装をむきとる返品むき作業を命じられ、さらに、同主任から翌日以降は容器洗いをするよう指示された。

(四) 同年七月下旬ころ、安全衛生委員会は、竹村が取り扱っていたカットアンドラップ機械の機械担当責任者として大沢を選任するとともに、第一包装班のその他の機械についても相前後して逐一、機械担当責任者を選任した。右責任者の運用に際しては、当該責任者が休んだ場合などは、機械担当責任者に選任されていない主任や、主任が指名する者が当該機械を取り扱うことがあった。なお、同責任者に選任されなかった者のうち、容器洗浄作業に従事させられたのは、竹村だけであった。

(五) 竹村は、翌二三日から、他の多くの従業員の作業場とは離れた西灘工場地下室で、当初は同包装班所有の二~三〇〇枚の容器の洗浄を指示され、やがて西灘工場製造部門全体の約四〇〇〇枚の容器の洗浄作業にもっぱら従事した。同作業は、第一包装班における容器洗浄業務と同様、従来、同工場の各階にある洗い場で各班ごとに各従業員が本来業務の手空き時間を利用して行っていたもので、竹村が同作業を指示されるまでは、同作業に専ら従事していた者はいなかった。しかも、竹村が同作業を指示されてから一年余りの間、各作業場と同作業場所との間の容器の運搬は各作業場の主任らが行っており、竹村が各作業場からの求めに応じて、容器を当該作業場に運ぶと大福係長らから追い返されることもあった。

竹村は、同作業を命じられてしばらくたって、大福係長に「いつまでするのか。」と聞いたところ、同係長は、「お前は一生容器洗いだ。」「お前の態度いかんや。」と言った。

また、竹村は当初、合成洗剤を用いて素手で容器を洗浄させられていたため、同作業に従事してまもなく皮膚炎に罹ったり、さらに、連日の容器洗浄作業が原因で、昭和六三年八月には通院加療一か月を要する頸肩腕障害との診断を受けた。

2  原告は、竹村を容器洗浄作業に従事させた理由は、不安全行為などの問題点が多く見受けられたことから、安全衛生委員会が同人を機械担当責任者に選任しなかったことによるものであると主張するので、この点について検討する。

(一) カットアンドラップ機械の巻き込みロールは、鋳物製の円筒形の重量約三キログラムの部品であるため、転がって事故を起こさないように、作業終了後はこれを機械にセットする必要があったが、竹村は、昭和六一年五、六月ころ、作業終了後、巻き込みロールを取り外して洗浄したものの、組み立てずに乾かしたまま帰ろうとした際、村上主任から「それを全部セットして帰ってくれ。」と指示されたところ、竹村は、「錆びるから。」と言ってこの指示に従わなかったことが認められる(<証拠・人証略>)。しかし、証拠(<証拠略>)によれば、原告では、昭和五六、七年ころ、巻き込みロールを機械の上に置かず機械にセットしてから帰るとの取決めをしたことがあったが、必ずしも全員がその取決めに従っていたわけではなかったこと、竹村の右行動は同じ機械の先任者の取扱いに倣ったものであり、先任者がその取扱いを注意されたことがなかったことが認められ、他方で、竹村が巻き込みロールをセットしなかったことについて、村上主任その他竹村の上司から竹村に対し重ねて安全上の指導や措置が行われ、右取決めの徹底が図られたと認めるに足りる証拠はないことに照らすと、当時安全衛生委員会で機械の上に物を置かないことを指摘され、そのことが安全上の問題として認識されていたとしても、終業時にカットアンドラップ機械の巻き込みロールをセットしないことが、実際にはさほど重要な問題として考えられていなかったと考えざるを得ない。

(二) カットアンドラップの冷却板は、鋳物製で重量が一・三トンあり、これを移動させるときにはテコが使用されるが、テコ棒がはね上がる等した場合は事故が生じる恐れがあるが、竹村は、昭和五九年五、六月ころ、このテコ棒を跨いで通り、上司から叱責されたことがあることが認められる(<証拠略>)。しかし、竹村の右行動は、同人が入社して約一年後、本件機械取扱責任者の選任の約二年前の出来事であり、その後竹村が同様の行動をとったことを認めるに足りる証拠はない。

その他、原告の主張する、竹村が、持場を勝手に離れること、他の班員に不必要に話しかけること、容器に適量のキャンディーを入れないこと、現場を走ること、物の取扱いが乱暴であること、班のチームワークを乱すことに関しては、(証拠略)中の供述記載及び(人証略)の証言中にこれに沿う部分があるが、原告が問題にする竹村の行動の具体的態様、時期及び頻度、竹村の行動に対する原告の職制の対応等について、いずれも具体性に乏しい。

(三) 右(一)(二)によれば、原告が、昭和六〇年一月から約一年半の間カットアンドラップ機械取扱業務に従事してきた竹村を外して、約一か月前から新たに同作業に加わった後任者の大沢を同責任者に選任したことには合理的な理由の説明に欠け、不十分の感を免れず、さらに、機械取扱責任者が選任された以降も、機械取扱業務を責任者でない他の者が取り扱うこともあるなど機械取扱責任者を選任した趣旨・目的に従った運用が必ずしも徹底して行われているものではなかったことに照らすと、機械取扱責任者に選任されなかったことが五年余りにわたって竹村を同一の容器洗浄作業に専従させたことの理由であるとすることは、到底理解しえない。

3  また、竹村の容器洗浄作業の実態について、原告は、竹村に対して不当な場所で就労させているわけではないと主張するが、証拠(<証拠略>)によれば、ブラウンピーナツの製造作業は月に一、二回程度行われるに過ぎず、また、設備管理課員の部屋は竹村の作業場所とは別室であることが認められ、容器洗浄作業も健康障害を生ぜしめるほどの過重な作業実態であったのであるから、原告の右主張は、竹村が当時他の職員と隔離された場所で作業に従事させられていたとの前記認定事実を左右するものではない。

二  原告の組合嫌悪の態度について

1  組合結成干渉、組合脱退勧奨

(一) 前記「争いのない事実等」2、3の事実及び証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められる。

(1) 竹村は、昭和五七年入社の小西が西灘工場設備管理課から東灘工場製造課への配転を通告されたことに関し、異動に数日の余裕しかなく、配転に応じなければ退職を迫られていたとして、中谷らとともに四名で、昭和五九年二月二九日、就業時間中に一階の職場を離れ、長田課長に対して抗議した際、長田課長は、竹村らに対し、職場に戻れとの注意をしたうえで、「ゴンチャロフに組合はないんや。組合でも作る気か、作ってみろ。全員処分する。」と答えた。

(2) 竹村は、大学卒業資格で入社し、唯一人工場部門に希望して配属されたが、組合結成直後、中田工場長から、就業時間中に工場長室に呼び出され、「君は幹部候補として採用したんだから、こういうことはちょっと考えてもらいたい。組合については、考え直してもらいたい。わしと一緒にやらへんか。」と告げられ、組合を作って、職場の状況を改善するやり方を否定された。

(3) 昭和六〇年五月二七日午後四時三〇分ころ、竹村は、給料受領のための印鑑をロッカールームに取りに行ってくる旨を村上主任に伝えて欲しいと大沢に告げたが、ロッカールームで印鑑を忘れてきたことに気づき、無断で往復約四〇〇メートル離れた自宅まで取りに戻るためそのまま外出をしたが、このことに関し、同年六月三日、村上主任の外出許可を得ていなかったことについて今後は注意する旨の報告書を原告に提出した。大福係長は、同月一〇日、この件に関し、竹村、村上主任及び大沢を集め、無断外出の経緯について問い質すとともに、村上主任、大沢及び竹村に今後の反省を求めた口述記録を作成し、さらに同年七月八日、取締役総務部長石塚昌宏(以下「石塚部長」という。)の同席の下に、三人から重ねて事情聴取を行ったが、その際、村上主任及び大沢に対して、「お前、組合に入ってるんか。」と述べて、被告補助参加人への加入の有無を問い質した。被告補助参加人は、同月一五日、村上主任及び大沢に対する問質が不当労働行為である旨を組合機関紙「ごんちゃろふ」紙上で抗議した。

(二) 中田工場長は、中央労働委員会の本件審問期日において、竹村に対し組合について考え直してもらいたいと告げたような事実はなく、そもそも工場長室で一対一の形で竹村と面談したことも一度もなかったと供述しているが(<証拠略>)、兵庫県地方労働委員会の本件審問期日での竹村の供述(<証拠略>)に照らして信用することができない。中田工場長の右脱退勧奨行為については、竹村らから抗議を受けたことがなく、被告補助参加人の教宣文でも指弾されたことはなかったが、右発言当時は組合結成後間もなくであり、しかも、組合の教宣文が発行されていなかった時期であったことに照らすと、抗議や教宣文での指弾がなかったことをもって、直ちに竹村の右供述の信用性が左右されるものではない。

なお、長田課長が、組合執行委員に電話で「もう組合を辞めるように。」と言った旨の事実(本件命令の理由中の第1の3(1)<2>)については、これに沿う(証拠略)があるが、伝聞に関わる事実であるうえ、その執行委員の氏名が現在に至っても明らかとならないのであるから、(証拠略)のみをもってこれを認めることはできないというほかない。

また、大福係長、村上主任及び大沢は、大福係長の昭和六〇年七月八日の発言がなかった旨を供述・証言するが(<証拠略>)、前記各証拠に照らして信用することができない。

2  団体交渉の態度

(一) 原告と被告補助参加人との団体交渉に関して、前記「争いのない事実等」3の事実及び証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められる。

(1) 昭和五九年三月から同年七月までの間に、被告補助参加人は、組合活動の保障等の要求書を原告に提出して団体交渉の機会を持ったが、原告側の交渉員として出席した中田工場長は、被告補助参加人が結成当初から加盟していた地区労の役員が団体交渉の席に参加していたことから、「地区労の方はお引き取り願います。」、「会社の者だけでやろうや。内輪だけでやろう。」、「会社外の者が入れば混乱する。」などと言って、以後は黙り込んでしまった。

(2) 被告補助参加人は、右交渉の過程で、組合が委任すれば地区労にも交渉権限がある、地区労は団体交渉の専門知識を有しており、交渉をスムーズに進めるためにも入れて欲しい旨主張したが、原告は、団体交渉に外部の者を入れないとの交渉ルールを決めない限り話はしないという態度を取り続け、交渉は、要求書に対する原告の回答やこれに関するやり取りが始まる以前で、地区労の役員の参加問題で止まったままとなり、それ以上の進展はなかった。

(3) 団体交渉は、右の間に、五回開催されたが、右のような次第であったため、被告補助参加人は、それ以降団体交渉の申入れをしなかった。

(二) 原告は、原告が地区労の交渉当事者適格について疑問を呈したことはあるが、原告側交渉委員が黙り込み交渉が進展しなかったというような事実はないと主張する。しかしながら、右認定事実で明らかなとおり、原告が、団体交渉において、地区労に交渉当事者適格があることに疑問の余地がないにもかかわらず、外部の者を入れないとの交渉ルールを決めない限り話はしないという態度をかたくなに採り続けたことから、実質的な議題に入ることもなく、結果的には被告補助参加人の交渉の申入れを断念させたものであって、原告には団体交渉に誠意をもって応じる意思が欠けていたことが認められるというべきである。

3  組合員に対する暴力行為

(一) 被告補助参加人の組合員に対する暴力行為の事実に関し、証拠(<証拠略>)によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 被告補助参加人が昭和六一年一〇月一日に発行した機関紙「ごんちゃろふ」第六一号には、同年八月二二日から同年九月二六日までにかけて、中谷を製造業務とは関係ない清掃作業に就かせていることについて説明を求めていた竹村と中谷に対して、胡係長、大福係長及び西尾政宜係長(以下「西尾係長」という。)のそれぞれが、以下のとおり、前後六回にわたり暴力行為に及んだとして、これに抗議し、謝罪を要求するとの内容の記事が記載された。同年九月一九日午前八時五二分、第二包装班事務所前にて、胡係長が竹村の胸を腕で突き飛ばしたため、竹村はあお向けに倒れた。同年九月二六日午前八時三二分、第一包装班機械前にて、大福係長が竹村の作業服の腕の部分を破った。同年八月二二日午前八時五〇分、二階現場事務所にて、胡係長が中谷に対し大声で威嚇し、胸ぐらをつかみ上げて壁に押しつけ、さらに手拳で事務所の壁に大穴をあけた。同年九月一九日、午前八時四〇分ころ、二階現場事務所にて胡係長が中谷の足を踏みつけ、さらに、首筋をつかみ、職場から追い出そうとした。同月二五日午後〇時五五分、西灘工場二階製品倉庫付近で胡係長が中谷の胸ぐらをつかみ飛ばした。同年八月二二日午前九時ころ、西尾係長が二階現場事務所に中谷を引っ張りこみ胸を殴った。

(2) 右機関紙が発行されて約一か月後の昭和六一年一一月一〇日、竹村は、被告補助参加人の組合員嘉村忠司が同年一〇月末に現場係第二現場班主査三輪勝也に暴力を振るわれたとして同現場主任網義孝に抗議をしていたところ、同人から胸倉をつかんで引っ張られるなどの暴行を受け、加療約一週間を要する胸部打撲、胸部擦過創等の傷害を負わされた。網主任は、昭和六二年一二月、神戸簡易裁判所において罰金刑の有罪判決を受けた。

(二) 原告は、原告の管理者らが右「ごんちゃろふ」に記載された暴力を振るった事実はないと主張するので、この点について検討すると、証拠(<証拠略>)によれば、昭和六一年九月一九日午前、中谷が胡係長に対して清掃作業の従事を命ぜられていることに抗議しているところへ来た竹村を職場に戻すため、大福係長や胡係長が腕を取るなどして室外へ連れ出そうとし、その際竹村が転倒したこと、同月二六日午前、竹村が村上主任に対して同旨の抗議をしていた際、大福係長が竹村を引き離そうとして同人の腕を取ったところ、同人の作業服の縫い目が破れたことを認めることができるが、その経緯及び「ごんちゃろふ」記載のその余の事実については、本件全証拠に照らしても、明らかでない。

4  中谷の退職

(一) 中谷の退職に至る経過に関し、前記「争いのない事実等」4(二)の事実及び証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められる。

(1) 中谷は、入社以来、第一包装班でカットアンドラップの冷却作業に従事していたが、昭和六〇年一月二一日、第一包装班内で、胡係長のした新たに混合作業も担当する作業指示をめぐって同係長と口論し、これを拒否したところ、翌二二日からバレンタインデーまでとの期限付きで第二包装班への応援を命じられた。しかし、応援作業の指示は、バレンタインデーを過ぎても解かれることなく続けられ、第二包装班へ正式配属になる昭和六一年四月まで及んだ。原告の人員配置には、このような長期応援の例はなく、また、中谷が応援の理由を尋ねても、胡係長、大福係長は具体的に答えなかった。

(2) 中谷は、正式に第二包装班でキャンディ製品を梱包する作業に従事することとなったところ、昭和六一年七月三一日、胡係長との間で中谷の担当する製品の数が合わないことをめぐって口論となり、胡係長から翌八月一日以降階段、廊下等の清掃を主として半製品の運搬等雑役作業を命じられ、組合機関紙「ごんちゃろふ」紙上でたびたび被告補助参加人が抗議をした。

(3) 同年一〇月三〇日、中谷は、胡係長から午後三時の休憩時間中に、「休憩はするな、ここで洗え。」と言われ、休憩中の同僚の目前で食堂のカーテン洗いをさせられた。カーテン洗いは年一回製造課が手すきの時間に行うものであった。これを契機に中谷は、翌日から無届け欠勤を続け、同年一一月一二日には、原告会社社長に対し、製造業務をはずして清掃業務を命じる差別を改めることなどを要求する申入書を提出したが、昭和六二年二月一五日付けで原告を退職した。

(二) 胡係長は、兵庫県地方労働委員会の本件審問期日において、中谷についてバレンタインデーまでの期限付の指示がなされた事実はなく、同人は、かつて機械を担当していたが、機械トラブルを発生させるなど問題が多かったことから昭和五九年当時は主として下撰り作業に従事していたところ、同人と機械に向かって作業をする方が向いていると思われた第二包装班所属の他の従業員と交代させたものであり、嫌がらせをして中谷を退職に追い込んだものではないと供述する(<証拠略>)。しかし、応援作業の期限については、証拠(<証拠略>)によれば、昭和六〇年四月から同年八月までにかけて三回にわたって機関紙「ごんちゃろふ」に中谷の応援活動に関する上司の対応を批判する記事が掲載され、右記事中に、同人が指示された応援作業の期限がバレンタインデーまでであったこと、同人の応援作業が一九四日間にも及び不当に長期になっているとして抗議していたことが認められ、これらの事実に、応援の形でこのような長期間不安定な状態を継続すべき合理的理由が見出せないことを照らし合わせると、前記認定に反する胡係長の供述は信用することができない。また、中谷が退職した理由については、前記の認定事実によれば、中谷は、約三か月間にわたって主として清掃作業を指示され、さらに胡係長から不本意な状況でカーテン洗いを命じられたことなど、原告の同人に対する処遇への不満を契機として退職するに至ったものであることは明らかである。中谷の無断欠勤後、原告は中谷に対して希望に沿うように業務について話合いに応じる旨を通知して出社を促したことが認められるが(<証拠略>)、原告の対応如何は右認定を左右するものではない。

5  以上に認定した、<1>昭和五九年二月、小西の配転問題に関して抗議した竹村らに対して長田課長が組合を結成すれば処分する旨の発言をしたこと、<2>被告補助参加人結成後、中田工場長が竹村に対して被告補助参加人からの脱退勧奨を行ったこと、<3>竹村の無断外出についての事情聴取の際に、大福係長が村上主任と大沢の対応を咎めて組合加入の有無を問い質したこと、<4>原告が被告補助参加人との五回の団体交渉において、被告補助参加人の加盟していた地区労の役員が出席していることを理由に、実質的な協議に応じなかったこと、<5>昭和六一年一一月、組合員の処遇について抗議していた竹村に対して網主任が暴行を加えて刑事処分を受けたこと、<6>昭和六〇年一月以降、胡係長が中谷に対し、短期間の約束であったにもかかわらず、一年余りに及ぶ第二包装班への長期応援を命じ、応援の理由については十分な説明をせず、また、昭和六一年八月以降三か月間にわたり主として清掃作業に従事させ、さらに、休憩中の他の従業員の目前でカーテン洗いを命じたことの各事実に前記「争いのない事実等」掲記の各事実を総合すると、原告は、原告の労務管理について種々表立って非難する被告補助参加人をその結成当初より一貫して嫌悪していたと認めることができる。

三  不当労働行為の成否について

右一、二の事実に照らしてみると、原告は、かねてより竹村及び中谷が中心となって結成した被告補助参加人及びその組合活動を嫌悪していたものであり、原告の竹村への容器洗浄作業の指示が中谷に対する清掃作業の指示とほぼ時期を同じくしており、竹村が容器洗浄作業を始めた後の原告の職制の発言や竹村に対する処遇に鑑みると、原告が竹村に容器洗浄作業に専従させたのは、業務上の合理的な理由がなく、竹村の組合活動を嫌悪していたためにほかならず、さらに、竹村の容器洗浄作業の実態が、他の作業場所から隔離された環境のもと、生産工程に直接関与しない単純な作業であるとともに皮膚炎などに罹患する程の作業条件であったことを考慮すると、同人に対する不利益な取扱いであることは明らかであり、労働組合法七条一号の不利益取扱いに該当するというべきである。また、原告の竹村に対する右取扱いは、他の従業員の組合加入及び組合活動を牽制するものであるから、同条三号の支配介入に該当するというべきである。

四  除斥期間について

証拠(<証拠略>)によれば、本件で被告補助参加人が竹村の容器洗浄作業に関して兵庫県地方労働委員会に申し立てた内容は、原告が竹村に対して容器洗浄作業に従事することを指示した行為だけを不当労働行為であるとしてその是正を求めているのではなく、竹村が、第一包装班に配属されていながら、他の従業員と異なる容器洗浄作業に継続して専ら従事させられている事実を主張し、右の事態を是正することを求めていることが認められる。右のとおり、本件救済命令の申立てにおいては、竹村に対する原告の継続する差別的取扱いが不当労働行為に当たると主張されているのであるから、右行為は労働組合法二七条二項の「継続する行為」に該当することが明らかである。

したがって、原告の主張は採用できない。

五  結論

よって、本件命令の認定及び判断は正当であり、原告主張の違法は認められないから、原告の本訴請求は理由がない。

(裁判長裁判官 遠藤賢治 裁判官 白石史子 裁判官 梅本圭一郎)

別紙一

【主文】

一 被申立人会社は、申立人組合執行委員長竹村務を、容器洗浄業務の専従から、第一包装班の機械取扱業務に復帰させなければならない。

二 被申立人会社は、本命令書写し受領の日から七日以内に、下記内容の文書を申立人組合に交付しなければならない。

平成 年 月 日

ゴンチャロフ労働組合

執行委員長 竹村務殿

ゴンチャロフ製菓株式会社

代表取締役社長 光葉貞夫

ゴンチャロフ製菓株式会社が、貴組合執行委員長竹村務氏を容器洗浄業務に専従させたことは、同氏に対する不利益取扱いであり、かつ、貴組合の運営に対する支配介入として、兵庫県地方労働委員会から労働組合法第七条第一号及び第三号に該当する不当労働行為であると認定されました。

よって、当社は、今後このような行為を行わないことを誓約します。

三 申立人のその余の申立ては、これを棄却する。

別紙二

【命令書<写>】

平成三年(不再)第四四号事件

再審査申立人

平成三年(不再)第四五号事件

再審査被申立人 ゴンチャロフ製菓株式会社

代表者代表取締役社長 光葉貞夫

平成三年(不再)第四五号事件

再審査申立人

平成三年(不再)第四四号事件

再審査被申立人 ゴンチャロフ労働組合

代表者執行委員長 竹村務

上記当事者間の中労委平成三年(不再)第四四号及び同年(不再)第四五号事件(初審兵庫地労委昭和六三年(不)第四号事件)について、当委員会は、平成五年七月七日第一一四九回公益委員会議において、会長公益委員萩澤清彦、公益委員舟橋尚道、同福田平、同山口俊夫、同青木勇之助、同神代和俊、同高梨昌、同川口實、同北川俊夫、同細野正、同鈴木重信、同山口浩一郎、同花見忠出席し、会議の上、次のとおり命令する。

主文

本件各再審査申立てを棄却する。

ただし、初審命令主文第一項を次のとおり改める。

一 ゴンチャロフ製菓株式会社は、容器洗浄作業について、ゴンチャロフ労働組合執行委員長竹村務を、第一包装班の他の機械取扱業務従事者と同様に取り扱わなければならない。

理由(以下、略)

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